宮台真司さんのお話

宮台真司さんって方ご存じですか?社会学者として有名な方だと思うのですが、失礼ながら私のイメージは「東京都立大学で刃物で襲われ重傷を負った方」程度の理解しかありませんでした。
少し時間があったのでYoutubeを見てみました。
【宮台真司が異議あり「英語公用語」】白熱教室・サンデル教授から読み解く/デコとボコが補い合う共同体/個人のスキルアップは必ずしも幸せにつながらない/宮台氏の小学校時代/安藤優子氏が語るメディアの同質性
個人的には見ごたえがありました。私の理解や思ったこと含めた記載(超訳)を書き留めておきます。正しくは動画を見たほうが良いのでご了承ください。
- 今の社会は浅いレベルのコンフォミティ(適合)を求めてしまっている。本来深いレベルのコンフォミティが大切。ネクタイ締めていないとダメみたいな連帯感は浅いコンフォミティで、目標を達成するための連携は深いコンフォミティ。
- 日本は分相応(空気を読む等)に生きるのが大人とされているが、欧米では行動を自分で決定できるのが大人。日本が衰退する原因になっている。
- 宮台さん自身がADHD。ADHDの人はそうでない人がやりたがらないことをやったりするので、集団存続性を高める存在。
- 得意分野はそれぞれ違う。「デコ(凸)」と「ボコ(凹)」による連携こそが効率的なはずなのに、何でもできる人が求めるのが今の日本社会。
- 「xxで困っていたら俺を頼れ」って発信することがデコボコのマッチングをやりやすくする。
- ひとりの優れた才能が1000人に勝ることがある。このひとりはたぶん変わった奴で排除される場合が多い。彼を育てられる環境が必要。
- 自分で何でもできるようにスキルを磨く(能力主義になる)ことは悪く無いが、その帰結は能力主義は間違っていると言うために使うべき。
感想を2つほど。
少し前から製造業(ビジネス界?)では「リスキリング」という言葉が良く使われるようになりました。私のいた会社でもわりと使われるようになりました。
この言葉は表面的に思えましたし、「あんたの能力イマイチ使えないから、新しいことできるようにならんとクビやで~」みたいに私には聞こえました。
本来は「あんたの得意なxxをお願いしたいから頑張って!」と言われたほうが、自らスキルや知識に磨きをかけるきっかけとなりこれこそが会社の力になるはずですが、そう言えなくなっている会社に根本劣化みたいなのを感じたことを思い出しました。
会社の中にいた人間としては自分にも「1/(従業員数)」くらいの責任はあると思っていますが、圧倒的に力のある経営陣のほうがより責任は重いでしょう。
それから、凸と凹の補い合いでつくる社会っていいなと思いました。
私なんかのBlogでもたいしたことない話しかありませんが、だからこそ気楽に記事にでもかこつけて「あんたこれどう思う?」って聞いてみてくださればいいのかなと。そんなことを聞けるようにするためにあえて暇は作ってありますのでどうぞ。
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